患者(70代男性)は『肩が凝ってつらい』と来院しました。
前回来院したときは『頚が痛くて右後ろを振り返る動作できない』と言っていましたが、今回は『頚は痛くないし、凝ってもいない』と言います。
項部、頭半局筋を触れると、全く凝りはありません。
肩凝りは、肩上部僧帽筋から肩甲挙筋にかけての上背部(下図の淡いグリーンの範囲)です。
この上背部には「肺兪ハイユ」穴と言うツボもありますが、鍼灸医学では「 肺 」と関係する部位とされます。
この患者さん、咳をしていたので「咳がでるのですか?」と訊ねると『痰がからんで咳が出る』と言います。
仰臥位(上向きに寝た姿勢)で、肺の経脈を切診(セッシン=触診のこと)すると、鎖骨下縁外方の烏口突起ウコウトッキの内側下部のツボ「中府チュウフ」穴に強い圧痛があります。このツボは肺の気が集まるところ「募穴ボケツ」と呼ばれ、肺や気管支など呼吸器症状の反応が現れるとこです。この圧痛は小胸筋の硬結(凝り)によるものです。
肺の経脈は胸部から腋窩前縁を上腕へ下り、肘窩横紋部に「尺沢シャクタク」穴、前腕掌面橈骨外側縁の硬結圧痛部に「孔最コウサイ」穴の反応が現れます。
この「尺沢」または「孔最」穴に刺鍼し瀉法の手技を加え「中府」穴(小胸筋)の硬結圧痛が消えると、咳は治まります。
ですが…、この患者さんの場合、『痰がからんで』咳が出ると言っていますので・・・「痰」への対応が必要です。そのために、「舌診」で舌の状態を確認します。
舌を診ると、表面の苔コケ(舌苔ゼツタイと言います)は薄く灰色気味です。舌本体(舌質ゼッシツと言います)は引き締まって固そうで舌側面は暗紫色です。
痰が出る(生じる)人の場合、体内で水分を動かす働きをすうる脾臓の気が虚(弱り不足した状態「脾気虚ヒキキョ」といいます)がベースとなりますから、脾気虚の舌診の状態として、舌質は色淡く、形はむくんで(浮腫)大きくブヨブヨした感じに見え、舌の側面には歯に当たって出来るへこみ「歯痕シコン」があり、表面の苔は厚くびちゃびちゃヌルヌルした湿った感じになるのが普通です。…がしかし、この患者さんでは異なります。
患者さんに「咽に痰がからんだ感じはするけれど、咳をしてもあまり痰は出ませんね?」と訊くと『朝、ほんのちょっと出るが、あとはほとんど出ない』と言います。
脈診(六部定位脈診)で左関上肝の見どころが有力です。
腹診では、お臍ヘソの左側肝の見どころに張りがあります。
「肝気カンキ鬱滞ウッタイ」が原因です。気鬱に微量の痰がからんだ症状で、梅の種(梅核)位のものが咽に引っ掛かって吐き出せないような感覚を形容して「梅核気バイカクキ」などともよばれる症状です。(正確には:肝気鬱滞が長くつづき気鬱化火→肝火偏旺→上爍肺津→肺失治節「肝火犯肺」型咳嗽という図式になります)
よく咳払いを繰り返す人がいますが、程度の軽い場合と考えられます。
さて、治療ですが…
①…まず、足の厥陰肝経の「太衝タイショウ」穴瀉法にて肝気鬱滞を取り除きます(疏肝理気ソカンリキ)。この効果が出たかどうかは、お臍の左川を押圧して、最初の張りが消えたかどうかと、六部定位脈診で左関上の脈の強い感触が穏やかになったか…で確認します。
②…①の疏肝理気と同時進行で、痰を除きます。去痰には足の陽明胃経の「豊隆ホウリュウ」穴を瀉法します。効果の確認は、上腹部「中脘チュウカン」穴付近の胃部を押圧し「重い不快な感じ」を受けないか訊ねます。押圧は胃部ですが表裏関係の脾の状態を診ています。理由は「脾は生痰の源」だからです。また、舌の状態の変化を診ます。ヌルッとした厚めの苔が、サラッとさた薄く舌質本体が透けて見える白い苔に変化すれば有効です。
胃部の不快感が取れない場合は、手の厥陰心包経「内関ナイカン」穴瀉法を加えます。
また、舌質の血色が淡くむくんでいて歯痕がある場合は、足の太陰脾経「陰陵泉インリョウセン」を平補平瀉(ヘイホヘイシャ先ず瀉法を施し次に補法を施す.これを繰り返す手技)します。脾気が虚していると水湿の運化が滞り痰が生じ易くなりますが、痰が生じる以前に胃の働きが減退し、食滞(胃もたれ)や胃内停水(胃がチャポチャポいう)が起こります。これを湿濁内停と言いますが、水湿や湿濁は陰性の邪気で、これらがあると脾気(脾の働き)を弱めます。これを「湿濁困脾」と言います。
したがって、脾虚を補うには、先ず、豊隆瀉法と陰陵泉瀉法にて邪気「水湿・湿濁」を除くことが有効となります。この瀉法を行わずに補法を施すと邪気を内向させ体の深くへ追いやることになります。「虚を補う」ことが治療だと間違った鍼治療方法を学んでしまった方は改なければなりません。
以上の治療で痰が無くなれば咳は落ち着きますが、「中府」(小胸筋)の硬結圧痛は除いておきましょう。経脈上の硬結圧痛は、経脈の気の流れが鬱滞していることを現します。
③…「尺沢」または「孔最」瀉法です。尺沢瀉には、宣肺理気降逆の効果があります。宣肺理気は「肺を整え気の流れを良くする」ことですが、宣伝や選手宣誓の「宣セン」ではなくよろしいの意味の「宜ギ」が正しい漢字ではないかと思います。
孔最穴は、尺沢穴から前方へ前腕掌面を橈骨外側縁に沿って圧擦して行き触れる硬結に取ります。分寸は四横指前後で、分寸よりも硬結圧痛のハッキリしたところをツボとします。肺の症状が重く長かったときに強く反応がでるようです。
効果の確認は、中府、小胸筋の硬結圧痛の消失です。
④…以上で咳と痰の症状は治りますが、この患者、右側の中府・小胸筋の硬結圧痛が残ります。喫煙の習慣があるからか?
これに対して、右側「列缺レッケツ」(手の太陰肺経の手首のツボ)と同側「照海ショウカイ」を双手瀉法します。肺経脈に対して強力な利気行気の作用があります。
結果、中府(小胸筋)の硬結圧痛はほとんど無くなりました。
これに、主訴である肩凝りの治療を加える…訳ですが、
肩凝りの治療を加えることなく・・・肩凝りはすべて消えて無くなっていました。患者は『あ〜ァ…楽になった』とお帰りになりました。
仰臥位で…脈診舌診と胸腹部の圧痛硬結を整える治療をすることで…患者全身が整う・・・ということです。
当院では、上背部から肩の凝りの治療であっても…腹臥位にすることはほとんどありません。
舌苔ゼツタイの色(この患者では薄く灰色)が白(薄く白い)に変わらない場合、黄色(茶色)〜灰色〜黒は熱の存在を意味します。湿が長く停滞し化熱、気鬱化火(肝火)、外こらの暑邪…いろいろなケースがありますが、その場合、上記処方に加透天涼とするか、「曲池コョクチ」穴瀉法加透天涼とするかとになります。
もし、項部頭半棘筋に凝り、硬結圧痛があれば、『申脈シンミャク』穴に瀉法を加えます。頭半棘筋の硬結圧痛の軽減〜消失を確認します。もし、効果が弱ければ、肩甲挙筋や棘下筋、肩峰の後下部付近の手の太陽の経脈の通りを触圧診歯硬結圧痛があれば、「後谿コウケイ」穴に刺鍼し「申脈」穴と共に手足の太陽経脈の双手瀉法を行います。